悪魔とは?


Up: 2010年 01月 21日

この項目では、宗教の象徴としての悪魔について記述しています。その他の用法については「悪魔 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
悪魔(あくま)とは、諸宗教に見られる、「煩悩」や「悪」、「邪心」などを象徴する超自然的な存在のことである。
神話にはしばしば聖人や預言者の信仰心を試す存在として登場する。また、宗教上の神に敵対するものを指し、異教の神々への蔑称でもあり、キリスト教の悪魔などはほとんどがそれに当てはまる。
西洋の悪魔は、人間に似た姿でありながら、黒や紺色の肌、赤い目、とがった耳、裂けたような口に尖った歯、尖った爪、コウモリのような羽を持つ存在として描かれることが多い。
数える際の助数詞は「人」「柱」「体」「匹」など。このうち「柱」は神道における神明の数え方の転用である。悪魔への使用例としてはソロモン72柱がある。
「悪魔」という漢語は本来、漢訳仏典に由来する仏教語であるが、転じて西洋のデビル、デーモンの訳語となった。仏教語としての悪魔はサンスクリット語マーラ(殺す者の意)の音訳「魔羅」「魔」と同義である。「魔」という漢字は、中国での仏典漢訳の際に「麻」と中国語の対応語「鬼」とを組み合わせて作られたものとされる。

悪魔について参考になるサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94

「聖フランチェスコがアレッツォに憑いた悪魔を追い払う」、ジオットーによる聖フランチェスコの生涯と題するフレスコ画連作の一部、アシジにある
悪魔払い(悪魔祓い、あくまばらい)は、いわゆる悪魔・悪霊・怨霊などが憑依したとされるとき(いわゆる悪魔憑きなど)に、それを取り除くために行われる一連の儀式などのことである。エクソシストといわれるものが行うキリスト教のものが一番有名であるが、世界各地で同様の風習が見られる。
かつて、シャーマニズム社会において治療行為の一環として行われていた。現代においても、医療が十分でない世界の一部の地域では、一種の治療行為として行なわれていることもある。しかし、科学的・医学的見地からは、悪魔払いではなく適切な科学的・医学的措置を行うべきとされている。
今もなおキリスト教のカトリックでは、悪魔払いを認めており、カトリック公認のエクソシストは数百名いるとされる。また、バリや日本など、悪魔払いの儀式として行われてきたものが、現代は古典芸能の一つとして残っていることも多い。
アブラハムの宗教であるユダヤ教・イスラム教・キリスト教の共通の聖典である旧約聖書において、悪霊・悪魔を去らせた行為が幾つか伝えられている。

悪魔について参考になるサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E6%89%95%E3%81%84

悪魔は、人に様々な奇跡による利益を提供するために、勤勉に活動していると考えられている知的生命体である。その多くは、魂などという人間世界では一銭にもならない益体無いもののために、驚くべき程の富や権力を与えてくれるものだとされている。
この点は、悪魔が魂のような益体無いもので莫大な利益や権力を提供するにあたり、血のにじむような経営努力とコスト削減に励んだ結果だと言えよう。
悪魔の対比物としては神が存在するが、ロール神を除く全ての神は実利的な利益を与えることは無いため、悪魔は神以上に優れた存在であると考えられている。
にも拘わらず多くの宗教では悪魔は神との戦争に常に負ける存在として描かれているが、これは悪魔がマハトマ・ガンジーに匹敵する無抵抗主義者ないし平和主義者である証拠だと考えられている。
また神が崇められこそすれ、悪魔を過剰に崇拝することは無い。これは悪魔が気前が良くて、神ほどに接待しなくても利益を与えてくれることに関係するだろう。
DEATH NOTEの夜神月は地球上の悪を一掃し新世界の神を目指したが、それらの行為により世界は平和になったため寧ろ彼は悪魔ではないかとも言われている。しかしやたらと崇拝される事を望んだり、自分にとって邪魔な存在は悪でなくとも消す等の行為は神のそれであり、本人亡き今どちらに分類されるか物議を醸してはいない。

悪魔について参考になるサイト:
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94

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