同文とは?


Up: 2010年 01月 21日

神戸中華同文学校(こうべちゅうかどうぶんがっこう)は兵庫県神戸市中央区北野町山本通の西、諏訪山山麓付近に位置する日本の中華学校である。
学校教育法上は学校法人神戸中華同文学校の設置する各種学校。中華同文学校は中華人民共和国系の学校だが、教育面では思想教育がなく、政治的には中庸である。同校は、華僑子弟のために1899年に神戸華僑同文学校として創立され、翌年の1900年に校舎が完成した。同校では、清朝から日本に亡命中であった清の政治家・梁啓超が神戸の地で華僑に、自国(中国)の言葉と文化を華僑子弟に伝えて行く必要性があると説き、華僑学校建設を促した年である1899年を、同校は創立年としている。1900年に神戸華僑同文学校が開校していたが、当時の清朝政府から目をつけられるのを恐れていたため、華僑の中で同校の校長になる者がいなかった。その為、神戸華僑から信頼の厚かった日本の政治家・犬養毅が名誉校長を務めた。同校は後に、神戸に点在していた華僑学校と合併を繰り返し、1939年に現在の神戸中華同文学校として統一された。神戸大空襲では校舎を焼失したため、1946年、当時の神戸市長中井一夫と神戸市による協力で神戸市立大開小学校を借りて、授業を復活させた。1959年に新校舎が落成し、同年7月、学校法人資格を取得した。

同文について参考になるサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E5%90%8C%E6%96%87%E5%AD%A6%E6%A0%A1

東亜同文書院(とうあどうぶんしょいん)は、1901年(明治34年)に東亜同文会(近衛篤麿会長)により中国に設立された日本人のための高等教育機関。日本人が海外に設立した学校の中でも古いもののひとつ。
1901年(明治34年)5月26日、上海に設立される。当初は政治科と商務科がおかれ、一時は農工科、中国人対象の中華学生部も設置されていた。1921年(大正10年)には専門学校令による外務省の指定学校となり、1939年(昭和14年)12月には大学令によって東亜同文書院大学に昇格し、予科、続いて学部が設置された。1943年(昭和18年)には専門部が付設された。
1918年(大正7)3月 中華学生部設置決定(修業年限は予科1年・本科3年。尚、学生の受け入れは1920年(大正9)9月から)。10月支那研究部設置。
初代院長の根津一は創立にあたって「興學要旨」と「立教綱領」を定めている。興學要旨に「中外の實學を講じ、中日の英才を教え、一つは以って中國富強の本を立て、一つは以って中日揖協の根を固む。期するところは中國を保全し、東亞久安の策を定め、宇内永和の計をたつるにあり」とし、立教綱領に「徳教を經となし、聖賢經傳により之を施す。智育を緯とし、中國学生には日本の言語、文章と泰西百科實用の學を、日本學生には、中英の言語文章、及び中外の制度律令、商工務の要をさずく。期するところは各自通達強立、國家有用の士、当世必需の才を為すに有り」としたことは、儒教的な実用主義的立場が重視されていたことを示す。東亜同文書院では儒教の経学を道徳教育の基礎にすえているし、簿記などの実用的な学問を重視している。

同文について参考になるサイト:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6

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